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民国78年、1989年に第5回民族芸術薪伝獎という賞を受賞した陳学礼さんは、陣頭界で伝説の人物です。今年90歳になる陳さんは13歳でこの道に入ってからというもの77年間、陣頭一筋の人生を送ってきました。「牛犁陣」、「車鼓陣」、「打手掌」、「桃花過渡」、「甩彩題」、「南管」などありとあらゆる陣頭に精通。現役から退いた後も、民俗芸能を次の世代に伝えて行こうと、サークルや学生らによる陣頭の指導に精力的に参加しています。廟やお宮のお祭りや祝いの席で陣頭が行われるとき、必ずと言っていいほど陳さんの姿があります。90歳を過ぎているとは思えないほど、軽やかな足取りで行進部隊の中を駆け回る陳さんは、いかにも楽しそうです。
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「車鼓陣」は遊びと芸術の要素を兼ね合わせた陣頭。そのほとんどが物語を演じており、歌あり踊りありの上、滑稽な身振り手振りで見る人を笑わせています。やがて民間劇として発展しました。その歴史は長いと言われていますが、その始まりについては諸説飛び交い定かではありません。台湾では「車鼓」、「跳鼓」、「花鼓」など太鼓を使ったさまざまな陣頭がひしめいていますが、その起源は似たり寄ったりです。諸説ある「車鼓」の由来については、次で詳しく述べていきたいと思います。
一、「三杖鼓」説: 呂訴上氏の著書、『台湾映画演劇史』には、「『車鼓』は恐らく唐・宋の時代に『三杖鼓』として始まり、やがて明や清の時代に『三棒鼓』や『花鼓』と呼ばれるようになり…」と記載されています。「三杖鼓」については、陳暘氏が書いた『樂書』に「唐代・咸通年間には王文挙という三杖を見事に操る者がいた。彼は三つの棒をそれはそれは器用に上へ下へと投げたり放ったり…。一度たりとも失敗したことがない」との記述があります。また元の時代には「花鼓棒」といわれるものがあり、李有氏がその書、『古杭雜記』で「花鼓棒とは、廟や宮で行われる行事に合わせて音楽演奏があり、一人の僧が手に3~4本の細いバチを持ち、上へ下へと交互に放り投げる」と書いています。これはやがて明の時代に入り、「三棒鼓」と呼ばれるようになります。「三棒鼓」とは歌あり舞いありの技芸性の高い一種の芸能で、その昔、湖北や湖南地区で盛んに行われていました。舞いを舞う時には、腰に鼓をつけ首からは銅鑼をかけて、両端に銅銭をはめ込んだ三本の木の棒を代わる代わる空中に向って投げて片手で受け取り、もう一方の手でまた空中に投げる動作を繰り返しながら、太鼓や銅鑼を打ち、歌を歌うというものです。
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二、田植え歌説: 田植え歌は農民たちが田を植えたり耕したりするときに、田んぼ中で唱和したり、合いの手を入れたり、競争したりしながら歌う歌でした。放牧や茶摘み、柴刈り、網打ちなどにも同じような歌があるといいます。その昔、農夫が田んぼで田植え歌を歌うとき、必ずと言っていいほどテンポを取ったりメロディーをつけたりするための「秧歌鼓」という大きな太鼓が用意されていた。そもそも耕作に使われていたものが、田植え踊りの基本となり、それに銅鑼や太鼓のリズムも加わって、やがて田植え踊りとして定着したようです。その後、各地の土地柄に合わせ、それぞれ異なった踊りへと発達していきました。
三、自漳浦大車鼓説: 大車鼓は別名「跳車鼓」ともいわれ、福建漳浦一帯で盛んだった。祝日や季節の行事、神迎えの神事があると、老人(車鼓公)や老婆(車鼓婆)、男役、女形、道化などに扮し、部隊を組んで大鼓を担ぎながら街中に繰り出し、貴族や官僚・大地主の官邸前まで練り歩き、そこで芸を披露していました。演目が始まると、老人が太鼓を打ち、2人の道化が銭太鼓を鳴らしながら踊り舞います。また4人いる女形のうち、2人が杯を、残りの2人が「四塊」を持ちます。男役の2人は小さな銅鑼を、老人は銅の鐘を、老婆はシンバルをそれぞれ打ちます。そして、みんなが音楽にあわせリズミカルに舞い踊るのです。普通はユーモアたっぷりな動きで見る人を笑わせてくれます。音楽演奏には笛、大広絃、二胡、月琴といった楽器が使われていました。
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