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  麻豆香の歴史
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  麻豆地区に古くから伝わる言い伝えによれば、「五府」は麻豆水堀頭地理に壊された後、南鯤鯓廟に移されたそうです。その後、麻豆の住民が毎年旧暦の3月末日、大きい月なら30日、小さい月なら29日に訪問団を組んで南鯤鯓廟へ赴き、「五府」を迎えて麻豆地区を神輿行列で繰り歩くようになりました。まず麻豆の途中にある王爺埔〈現・海埔里〉で一晩泊まり、翌日麻豆城内で2日間をかけて町を練り歩きます。そして、夜には保安宮〈現・今代天府の南側〉に宿泊し、4月25日にようやく南鯤鯓廟へと戻るのです。このように毎年繰り返し絶えることなく行事が続けられてきたということです。
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  この言い伝えはこれまでずっと麻豆地区で信じられてきており、1949年以前に生まれた麻豆の人はこの神迎えの行事の印象が残っているといいます。そして、南鯤鯓廟と海埔池王府の宣伝品にもこのような話が記載されているとか。このことからも、麻豆の住民が「南鯤鯓王を出迎えた」ことは紛れもない事実であり、恐らくこれが「麻豆香」の始まりであろうと思われます。ただ果たして何年何月何日から始まったのかについては諸説あるので正確なことはわかりません。台湾王爺信仰の広がりと「刈香」行列の流行から見て、信憑性が最も高いのは、早くても清代中期以降という説です。というのは、南鯤鯓廟が最も速い時期に分霊を行い、勢力を広めて行った時期がちょうど清・嘉慶5年であり、「南部三大刈香」と言われる学甲慈経宮(学甲香)、佳里金唐殿(蕭壟香)、西港慶安宮(西港仔香)もこの頃に成り立ったからです。

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  しかしながら、「麻豆香」が成り立ち、歴史的に発展していく上で、早い時期に麻豆街では「迎暗芸」という風俗的行事が伝えられていました。時期的には毎年の元宵(旧暦1月15日)の夜から始まったそうです。まず元宵の夜に関帝爺が町へ繰り出します。現在の興中街を境にした東側の頭から西側下の住民が民俗的な芸能技を競うためこの行事に参加しました。その後、双方とも一歩も譲らず、毎晩のように次から次へと新しい技を披露し、東の空が白むまでにぎわっていました。夜の帳が落ちると、参加する住民は竹筒に入った明かりを持ち、まるで昼間のように煌々と両側を照らしたとか。いまでも、牛車で眠り込んでしまった経験をもつお年寄りもいるそうです。しかし、太平洋戦争が始まると、そのころ台湾を統治していた日本人が安全を理由にこの行事を禁止しました。それから、「麻豆迎暗芸」は歴史の1ページとして終止符が打たれたのです。それから64年後の1999年、この行事は復活しました。

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  麻豆の「迎暗芸」はいつから始まり、「麻豆香」にどんな影響を与えたのか。今となっては文献やフィールドワークデータが十分でないために、正確なことはわかりかねます。しかし、このような形態の「迎熱鬧」(にぎわいを迎える)の行事は佳里地区の「刈暗香」に非常に似ていることから、「陣頭」の形成や「香陣」の組織構成上、「刈香」巡りと何らかの関係があるものと思われます。 

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