日本統治時代に烏山頭ダムや嘉南大圳の整備を担当したことで知られる八田与一技師の没後83年となった8日、慰霊祭が烏山頭ダムで開かれました。頼清徳総統が出席したほか、八田の孫、修一氏らが台南市の黄偉哲市長とともに参列し、八田の遺徳を忍びました。
台南市政府は、八田ら技術者の苦労に応えるため、六甲区公所や農協、地元の若手農業生産者らと共同で、八田の名を冠した「八田穂越」を開発しています。「八田穂越」はこの日の慰霊祭で出席者に贈られ、黄偉哲市長は「烏山頭ダムと嘉南大圳の整備は非常に困難なものだった。『八田米』を食べて、烏山頭ダムに対する八田与一の貢献を思い出してほしい」と述べました。
この日の慰霊祭には多数の来賓が出席しました。日本側からは、修一氏のほか、日本台湾交流協会台北事務所の片山和之代表と奥正史高雄事務所長、八田の出身地である金沢市の村山卓市長らが出席しました。頼総統は、台南市長、行政院長、副総統の在任中に続いて毎年慰霊祭に参列しており、黄市長は謝意を表明しました。台湾側からは、陳駿季農業部長、農水署の蔡昇甫署長、八田技師夫妻追悼・台湾友好親善会と八田与一文化芸術基金会のメンバーも参列しました。立法委員(国会議員に相当)は陳亭妃、頼恵員、郭国文の各氏が出席し、林俊憲、王定宇、林宜瑾の各氏は代理が出席しました。
黄偉哲市長は「国際情勢が不安定化するなかで日台間の友好がこれまでになく重要になっている」との認識を示し、日本の学生が台南を、台南の学生が金沢をそれぞれ訪問し、上の世代の人たちが残した優れた業績について学ぶといった日台の若者の相互訪問を提案しました。